2018年7月31日火曜日

【而今の会・webゆかた会『夕顔』】


暑中お見舞い申し上げます。
記録的な酷暑が続きますが、皆様どうぞご自愛下さいませ。

さて、このたび而今の会では、webゆかた会」と銘打ちまして、再びメンバー3人での「オンラインの共演」による三曲合奏公開を企画いたしました。曲は「夕顔」です。

地歌箏曲をされている方には今更ご説明するまでもない有名曲ですが、菊岡検校作曲による京風手事物で、内容は『源氏物語』の「夕顔」の巻の内容を簡潔にまとめたものとなっております。地歌三絃:東啓次郎、山田流箏曲:大庫こずえ、琴古流尺八:山口 翔の演奏でお届けいたします。

昨年夏のライブ演奏以来の京風手事物でしたが、三絃本手と箏・尺八が半拍ずれる「打ち違い」や、「掛け合い」などが多用されており、「オンラインの共演」ではきっちり合わせるということが中々に難しく、練習・準備には大変気合が入る展開となりました。しかし、こうして無事に完成し、公開させて頂けるというのは、感慨もひとしおです。実際に自分たちの演奏を聴いてみると、こうした合奏形態による不自然さが若干感じられる場面も無くはないですが、地歌箏曲を愛する奏者同士、場所が離れていてもこうして共に合奏を楽しむことができるのだという、そしてこれまで大切に伝承されてきた地歌箏曲を「音楽」として楽しむことは本当に素晴らしいのだということを発信するメッセージと受け取っていただければ幸いです。また、こうしたメッセージに共感していただけましたら、是非ともシェア・リンク等で広めて頂けたら大変嬉しいです。

以下、メンバーによるコメントです。


〇夕顔はそれこそまだ学生の内からお稽古を付けて頂いた曲ですが、習得については随分と色んな意味で苦労させられました。

とりわけ歌う声の何とも高い事にほぇ~とたじろぎ、手事のツボの行き来の縦横無尽ぶりにもまたひょえぇ~とのけ反ったものであります。

キーを下げて徐々に歌い慣れる形と、諦めずに動きを覚える事をとにもかくにも繰り返してはどうにか動ける形となりそれがいつの間にか自分の好きな曲の一つと化していたのでした。

今回の演奏では初めてメインの三味線を弾かせて頂きましたけども、流儀の違いの事もありお箏の流れが普段私が弾くのとはかなり違う事に驚き、山田のお箏のキレのスゴさにカルチャーショックを受けました。

私は尺八も吹きますけども、同じ琴古ながらも結構違うものを感じましたが、やはり三味線がしっかりしないと万事進まないのだと痛感してます。
(東 啓次郎)

〇「夕顔」というポピュラーな地歌に この度改めてじっくりと向き合ったことにより、昔何気なくお稽古をして頂いた中の一つとはいえ この曲から 原田東龍・佐藤陽子両師匠から 生田流とそれ程かけ離れた訳ではない歌の 山田流ならではの品格のある流麗な表現の美しさを我が心に刻み混んで頂いたのだと気付きました。
その歌を封印しての今回の役割には、実際に録音する段階に至り 思った以上の困難さに手こずる事となりました。
ドラマチックな内容でも 決して大袈裟にならず 静かに淡々と美しく歌う中で 歌詞の内容を伝えるのが地歌の良さだと この曲のお稽古で教えられました。
先人は 違う旋律のお箏を付ける事により、純粋な箏浄瑠璃の山田曲とは違う形で 「夕顔」のその魅力を引き出したのだと 今回新たに感じた次第です。
(大庫こずえ)

〇「夕顔」は尺八吹きの中でも人気曲の一つだと思います。京風手事物の整った形、美しい旋律、演奏していて心地よい曲です。しかも、長さも10数分程度と古曲の中でもあまり長い方ではなく、地歌箏曲の魅力を味わいやすい楽曲であると思います。

私事になりますが、琴古流の「夕顔」をお習いして何度となく合奏をさせて頂きましたが、その度に疑問に思っていたのが、「掛け合い」の際の尺八の手が、結構箏と違っているという点でした。「琴古流はベタ」というのが一般的な認識かと思いますが、それにしても出だしが反拍子ズレていたり、全く旋律そのものが違ったりしているところが目立つのです。しかし、今回の合奏でその疑問が氷解しました!聴いて頂いたらお分かり頂けると思いますが、なんと山田流の手とピッタリ一致するのです!!山田流の箏の手付けは、生田で一般的な八重崎検校の手とは少し違っているんです。荒木竹翁が長瀬勝雄一の協力のもとに作成したという琴古流外曲の手付けは、やはり山田流の要素が色濃く流れていたのですね!

夕顔は「初伝曲」として、尺八を始めて割と早い段階でお稽古やおさらい会での演奏という流れになりやすい曲ですが、自分自身もこんなに根を詰めて、毎日毎日一生懸命練習したのは、本当に久しぶりです。「旋律が分かりやすい曲ほど、上手な演奏を目指すのは本当に大変なこと」なのだと痛感しました。自分の演奏を録音して聴いてみたり、お糸のメンバー2人の音源と合奏稽古をしたりを繰り返し、旋律の隅々までを自分の身体や精神に馴染ませるように心がけました。いい勉強となりました。

「オンラインの共演」では、実際に同じ場所でお互いの生音を聴きながらの演奏ではありません。しかし、リアルな場での合奏とは一味違った経験や練習を重ねることができます。こうしたスタイルも「古曲」「地歌箏曲」の一つの有り様として、「減り続けている」と話題の邦楽人口の現状や、それでもなお残り続ける旧態依然とした敷居の高さ・堅苦しさに、一矢でも報いるきっかけともなりましたら幸いです。(山口 翔)

2018年1月1日月曜日

【而今の会・平成30年新春web演奏会『八千代獅子』山田流・生田流合奏】

新年明けましておめでとうございます。
「而今(にこん)の会」でございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

※「而今の会」の活動コンセプトや発足の経緯については、こちらへ。


この度は「而今の会・平成30年新春web演奏会」と銘打ちまして、
純邦楽の演奏を通して皆様に少しでもお正月気分を味わって頂こう、
折角のお正月なので、日本の伝統的な楽曲を聴きやすい形でお届けしようと、
メンバー三人で演奏を収録し、「演奏動画」という形で公開させて頂いた次第です。



そもそも、この企画の発端は、夏に開催しました
「葉月の陣屋、而今の会演奏会」の打ち上げで、
次は、何する??」という話題の折、
「新春に、web演奏会でもしましょうか!」との発言がきっかけでスタートしました。
メンバーが長野県、静岡県、福岡県と、それぞれ遠くに離れているため、
なかなか実際に集まっての合奏や演奏会出演が難しく、
それならば、これまでの「ジョイントweb演奏会」や「オンライン下合わせ」のような
「ネット上での三曲合奏」で演奏を発表しようと思いついたのです。

選曲にあたっては、新春にふさわしい祝儀曲であること、
聴きやすく長すぎないこと、
地歌箏曲の中でも知名度が高いこと、
そして生田・山田の両流で合奏可能なことなどから、
「八千代獅子」に決定しました。
「両流で合奏可能」とはいっても、曲のテンポや伸び縮み、
マスなど様々な相違点があり、
今回は山田流を本手としてそちらに基本的に合わせるように致しました。
また、通常は三絃が本手、箏が替手という演奏パターンが多い中、
「而今の会ならではの演奏を」ということで、本手を山田流の箏本手とし、
三絃なしの箏二面に尺八を加えた形で合奏しています。


《メンバー3人より一言》

初学曲と雖も 奏者の技量が上がればそれだけ表現の上で聴く者を惹き付ける名演となるのが 東西問わず古典と言われる音楽の魅力ではないでしょうか…
自らの奏でる音一つ一つに向き合いその行方を確かめながら 聴く人の心に響く演奏をするという事 それが私の目指すものです。
このWeb演奏会は、客観的な自己分析を余儀なくされるという ともすればお家芸山田流と自惚れがちな私に 襟を正す良いきっかけとなりました。
(大庫こずえ)


今回は大庫さんが弾く山田のお箏が
タテですので、普段弾いている生田の間尺
よりも短くテンポが異なり、とりわけ
立ち上がりが早くて慣れるまで
何度も弾き直してました。
それと、打ち替えの件の詰め込み具合も
1.5倍速く感じて六と斗の半押しと
強押しの押し直し(生田の手は少々厄介)
切り替えが相当に素早くしないと山田の流れに
乗り遅れるので必死()でした。
ですので、同じ曲でも間尺やノリがこうも違うものだと
改めてカルチャーショックを感じてます。
とは言え、そうした違いを越えて理解して共に
弾くのがこの会の主旨なのだと実感しております。

そう言えば、八千代獅子の解説を見て
おりますと獅子は兎を得る事にも
全力で取り組むとあります。
八千代獅子が初歩曲と言えども大曲と
変わらずに全力で接するべきなのだと
改めて感じるものがありますね。
(東 啓次郎)


「八千代獅子」を提案した理由のもう一つに、実は以下のような出来事もあったんです。

私事ですが、僕は本業が小学校教員なんですが、担任をしている小6の音楽の「鑑賞CD」を手に取ってみてビックリ!なんと、「和楽器」の鑑賞教材として、中能島欣一師、山口五郎師らによる「八千代獅子」が収録されているではないですか!!早速「而今の会」のメンバーにも音源を聴いて頂いたりしました。実はかくいう自分も、「山田流の八千代獅子」を本手・替手・尺八のフルバージョンの合奏で聴いたのは、これが初めてでした。感想は「粋だなぁ!」の一言で、素晴らしい名演であったのはもちろんなんですが、本当に「山田流箏曲」にしっかりとなっていたのは当然なのですが、やはり驚きの感動がありました。

こういうのも「何かの縁」なのかなとも思い、上記の事情に加えてこうしたことも提案の際にお話しし、同曲を推薦したような次第です。

尺八をお習いする際は、この曲はご存知でしょうが「初傳曲」として、習い始めの頃にお稽古する曲となります。しかし、数ある地歌箏曲の中でもとりわけ旋律が特徴的で印象に残りやすいものであり、楽曲としての完成度、芸術性の高い一曲であるように感じます。曲の長さもそんなに長くないですし、普段純邦楽や三曲にはあまり接する機会の少ない方にも、聴いて頂きやすい楽曲なのではないかと思います。

加えて、関西での修行時代、師匠が師事されていた故・松村蓬盟先生がNHKラジオの新春の放送で演奏なさっていたのが記憶に残っている曲でもあります。松村先生は師匠と同席させて頂いた奈良での勉強会の時にも「初傳の曲だからといって、絶対あなどってはいけません。初傳の曲でも奥傳の曲でも、どの曲でも本当に合奏の機会をありがたく感じ、全力で曲を勉強しなくては」というようなお言葉を述べておられました。自分の修行時代の中でも、今日に至るまで自分の中での三曲への姿勢を作り上げて頂いた、とりわけ大切な思い出のうちの一つです。

「オンライン下合わせ」を行った際、大庫さんから尺八の合わせ方について重要なアドバイスを頂き、僕自身の尺八の合奏の考え方を大きく前進させて下さいました。やはり、尺八は合奏させて頂くのが最大の勉強ですね。本当にこのような機会を頂き、ありがたく思っております。
(山口籟盟)




『八千代獅子』:地歌・胡弓曲。本調子手事物。獅子物。初世藤永検校移曲。作詞者不詳(園原勾当とも)。原曲は尺八曲で、政島検校が胡弓化し、それをさらに三絃に移したものという(「歌系図」)。手事物は「大ぬさ」(1687、貞享4以前成立か)にある「獅子踊」の器楽部を発展させたもので、同所の注に「八千代」と記されるものが原曲か。「大ぬさ」の「獅子踊」と「八千代獅子」との比較演奏例は、平野健次監修「三味線古譜の研究」(東芝EMI1983)に収録。詞章に豊年の吉兆とされる松竹梅を詠み込む。手事は三段からなり、段の区切り方は流派によって異同があるが、各段変奏度の少ない同旋律の反復に近い。箏の手付は地域・流派によってさまざま。平調子のものが一般的であるが、大阪では市浦検校手付の雲井調子のものもあり、東京では米川琴翁の本雲井調子の手付も行われる。山田流でも雲井調子。三絃替手(三下り)は国山勾当作曲とも。全曲通して「万歳獅子」との打合せも行われる。かつては手事部に歌を付けた「井戸替八千代」(北新地川久こと和風作詞)などもあり、歌の部分のみを「新砧」などの前後に付す演奏スタイルもあった。また、胡弓入り三曲合奏としても行われ、歌舞伎芝居の下座などにもとり入れられる。宮城道雄による編曲(「編曲八千代獅子」1952、昭和27)もある。手事の旋律はさまざまに流用され、歌舞伎の下座や長唄「船弁慶」などにもとり入れられる。谷垣内和子(『邦楽曲名事典』平凡社 1994)