2017年4月23日日曜日

酒 復称笹の露

こんにちは、山口です。



琴古流の尺八界では古来より、「笹の露」のことを副題とでもいうべき「酒」の呼称で呼ぶ習慣があります。青譜の題箋にも「酒」とあり、その下に小さく「復称 笹の露」と書かれています。僕はもともと都山流の出身なので、琴古流に入門して初めてのおさらい会のプログラムに「酒」と書いてあるのを見て「そんな古曲、あったっけ!?」と驚いたところ、「笹の露」だった、という体験をしました。琴古流独特の曲の呼び方や漢字の使い方はいくつかありますが、それらは琴古流の「味わい」として、大切に伝承していきたいなと思っております。



さらにもう一つ、琴古譜の「笹の露」には、作曲者の記載箇所に「石川勾当」(正しくは菊岡検校)と書いてあります。これも、師匠の御宅でお稽古をつけて頂いた時に教えていただいて訂正した思い出があります。白譜の「笹の露」は持ち合わせていないので確認できないのですが、青譜や白譜が出回り始めるより一世代前の青刷りの琴古譜でも「酒、石川勾当作曲、笹の露トモ云」とありますので、近代に現行の琴古譜や地歌箏曲の手付けが完成して以来、曲名の呼称と作曲者名の誤りは「琴古流の伝統」とでもいうべきものになっているようです。面白いですね。



さて、「酒」といえば、もちろん地歌箏曲の「笹の露」も尺八界において人気の奥傳曲といえると思いますが、それと同等、いやそれ以上に「本物の」酒の方も、尺八界には大層な愛飲家が多いようです。雑誌『三曲』の記事をめくると、本当にそういう話題が多いので、ここで二、三取り上げてみたいと思います。

◎豊田古童(初代古童)
当時日本随一の名人と呼ばれた初代古童師に入門を許されたので竹翁先生は飛立つばかりに喜び勇んで、早速その翌日から稽古に通はれたのです、其時竹翁先生の宅は下谷の大恩寺前で、そこから日本橋の箔屋町にある古童師の家へ日々通ふのですが、どうした事か一向に教えて呉れる気配がない、それでも構はず通ふが色々の口実を以て尺八は手に取らぬ、最もこの豊田古童と云ふ先生は天性酒落の人で、酒も余程嗜まれてゐた様子、いつも酒を飲んでゐては「明日こい」翌日行くと又「今日も一杯やっとるから明日来い」又翌日行くと「今日は尺八を作ってゐるから明日来い」といふ調子で毎日々々口実を設けての門前払ひ、かうなれば根気較べです、飽迄熱心な竹翁先生のほうでは只習ひたい一念から根気よく通ふこと二ヶ月に渉りました、然しそれでも所詮相手にされそうにはない。
そこで先生も決心されました、それは丁度大雨の降る日、今日こそは師匠も閑であらう、今日往て若しも教へて貰へなければ断然自分は学ばぬ、あきらめぬ、と決心して出かけて行きました、相変らず師匠は酒に酔て座敷に寝てゐたが、竹翁先生又も懲りずに来た所を見て「ソラ又やって来た」とばかりに冷やかに見て相手にせぬ、竹翁先生は決心はしておるが悄然としてその玄関に佇立んで如何にも無念の思入れ、その姿と顔を見てか忽ち「まァ上れ」と初めてこんな声がかゝったので、驚きの眼を張って竹翁先生は不思議な仕合せと、初づ暫く座敷に上られたのです、その時初めて初代古童師は莞爾した顔になって話し出されました。「実は今迄お前に教えなかったのはお前の心を試したのだ、お前の熱心もよくわかったから此上は今日からミッチリと稽古して、私が知ってる所の秘曲は悉くお前に伝えよう」とうって変って親切なる言葉、竹翁先生は感極まって泣かんばかりに喜ばれたのです、これから初代古童師について三年間、本曲外曲も師のものは悉く授かったのです。…
 「荒木竹翁先生」三浦琴童『三曲』大正13年8月より

◎荒木竹翁(二代目古童)
前号でちよと竹翁先生の健康に就て述べましたが、実際先生の強健とその平常に就ては到底今の若い者の遠く及ばぬ処がありまして、酒も随分いけた方で、昼と晩に、日に二度はやってゐられたのですが、最も先生のお酒は四十を越してから飲み出されたので、中々強い方で、従って老いて益々盛んな処が見受けられました。…
 「荒木竹翁先生」三浦琴童『三曲』大正13年12月

◎三浦琴童
…故佐藤左久、上原眞佐喜、三浦琴童、この三人が当時の酒豪で、中でも三浦さんは熱燗で有名、一名熱い燗の事を仲間で三浦燗と云った程、それに就て三浦さんは嘗て言はれた「あれは竹翁さんが熱燗がすきでそのお相手をしてゐたからだ」との事であった。
 「三浦琴童先生を追憶する」藤田鈴朗『三曲』昭和15年5月

…先生の熱燗は有名なものでしたのでいつも先生燗と自分燗のお銚子を別々に二本並べるので先生もお笑いになりました。
 「虚無吹断 三浦琴童先生の憶出」高野宗童『三曲』昭和16年2月


具体的な文面は省略しますが、私の最も敬愛する尺八奏者・山口五郎先生も、お酒が大層お好きであることでも有名ですよね。



尺八家は、酒を愛する人が多いようで、そういったあたりも込みで「笹の露」のことを「酒」と思いを込めて呼んでいるのかもしれませんね。



〜〜〜〜〜@而今の会・web談話室〜〜〜〜〜


尺八の先人方で古来より酒豪はいたのですね。
因みに、宮城譜ですと笹の露の別名として
『一名 酒』
と表記されており、尺八とは逆です。



琴古流の外曲は、荒木竹翁が長瀬勝雄一に師事し、手付けしたものが根源になっています。もしかしたら、その長瀬勝雄一の系統(本格的に江戸に生田流が進出する前の、生田と山田の両方の橋渡しをした芸系。山田流への地歌箏曲の移曲は、長瀬勝雄一の協力によるところが大きいと見られる)で「酒」と呼んでいたのかも知れませんね。しかし、そんな小難しいことよりも、「酒」好きな多数の尺八家たちの精神が表れているのかも知れません。

ちなみに僕自身は、お酒は好きなのですが、昨日はどうも「お酒に飲まれ」てしまって、、、、
飛躍できないのはお酒に弱いからなのかも…



色んな意味で酒の存在は大きいと言えます。
笹の露と言うと、どちらかと言えば女性が使う
イメージがありますので、山口さんの文面から
察すると男言葉でビシッと酒と言うのが
収まるかなと思います。
まぁ、尤も明治以前の三曲は男性中心でしたから
自然と酒で通っていたのでしょう。

女房言葉で『ささ』とか『笹の露』は
使われておりましたので、明治以降は自然と
糸方では笹の露と呼ぶ様になったのだと思えて来ます。



長瀬勝雄一は、関西の方で修行を積み、江戸に帰郷したそうで、その頃は生田が受け入れられるような土壌ではなかったみたいなんですが、その人柄と、山田流との積極的な交流で周りからの支持を得て、名人として名を知られたらしいです。
山田流にも「笹の露」は移曲された訳だし、その昔は「いい!」と思った曲は習って取り入れたり、交換したりと、今の環境よりは逆に芸の面では自由だったんじゃないですかね?



私は調べた訳ではありませんが、移曲という程の取り入れ方ではなかったと思います。
譜面化はされなかったという事は、取得すべき必須の曲とは別に、生田の曲への憧れ的な位置づけで 弾かれていたのではと思います。



昔の芸の交わりは、今よりもずっと
おおらかだったと聞いてますね。
山田では京ものと呼んで生田の曲が弾かれて
ますけども、生田では逆に山田の古典は
弾かないのがナゾです。

2017年4月16日日曜日

箏から目線の笹の露

こんにちは、東です。

地歌箏曲の曲作りは幕末以前は
三絃が原曲ならばお箏は後で別人が手を付け、
更に胡弓(後に尺八)の手が加わる形で
三曲合奏が成立するのです。

笹の露は菊岡検校の三絃が原曲で、
そこから八重崎検校がお箏の手を付ける形で
糸方の合わせが出来て、それから尺八が
加わる事で定番の三曲合奏となります。

私は今回はお箏を弾かせて頂きますけども、
大庫さんの三絃がタテですので、響きが凛として
いる点からお箏を弾くとしたら少し引き下がり
やんわりと弾く形で応えられればと目指してます。

昔ですと、三絃に負けじとバリバリと弾きまくって
ガチンコ勝負に流れて行ったのですけども、
それでは合わせのバランスが崩れてしまいます。

歌舞伎で言えば三絃は立役にあたり、
お箏は女形のポジションであるべきと考えてます。

とは言え、決してナヨナヨとしたものでは無く、
芯はシッカリと持ってお相手させて頂く事を忘れては
いけません。

でないと、手事の差しつ差されつの
流れで勢い付いて段々とベロンベロンに酔い…
『あられもない』
事になります。

流儀によっては糸方がバリバリ互いに弾き合う所も
少なからずありますが、私がお箏に回る時は
常に三絃を引き立てつつ自分の音をジンワリと伝えて
行く事こそが大事と心掛けたいです。

私の稽古は師範代モードのチャイが見守る中、
静かに進めております。


2017年4月9日日曜日

「笹の露」を弾く…

こんにちは、大庫です。

「而今の会」で終曲となる、「笹の露」のお稽古をしています。

この曲は山田流筝曲でも人気が高く 以前私もお稽古はしていただきましたが、本来の地歌として新たにお習いしなおしたものを今回演奏いたします。




私の友達の「地唄FAN管理人」さんが、ブログでこの曲についての詳細をアップしてくれていますので、ちょっとご紹介しますね。(以下、「地歌FAN」さんのブログより引用)
http://jiuta.at.webry.info/201006/article_2.html


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  Special thanks to 管理人 千 様  
    (邦楽データベース → 古典データベース) 

          http://www.eonet.ne.jp/~tngk/deta/koten/frame.html

                            (ご紹介者:藤枝 梅安様)
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笹の露(ささのつゆ)


一 酒は量りなしと宣(のたま)ひし、聖人は上戸にやましましけん。
  三十六の失ありと諌め給ひし仏は、下戸にやおはすらん。
  何はともあれ八雲立つ、出雲の神は八しぼりの、
  酒に大蛇を平げ給ふ。これみな酒の徳なれや。

二 大石さけつる畏みも、帝(みかど)の酔(えい)の進めなり。
  姫の尊の待ち酒を、ささよささとの言の葉を、
  伝へ伝へて今世の人も、きこしをせささ、きこしをせささ。

三 劉伯倫(りゆうはくりん)や李太白(りたいはく)、酒を呑まねばただの人。

四 吉野龍田の花紅葉、酒がなければただのとこ。
  よいよい、よいの、よいやさ。


1.酒は呑んでも適量に飲むべしと仰せられた昔の聖人は、酒に親しんだ人であったろう。酒を呑むと三十六の失敗をする原因となると諌められた仏様は、多分酒を御飲みにならなかったのであろう。何はともあれ、スサノオノミコトが、強い酒でヤマタノオロチを退治したのも、これは酒の力ではあるまいか。

2.応神天皇が御酒を召し上がってよい気持ちになり、道の傍らの大石を御杖でお打ちになったところ、堅い石すら走り避けたということも、酒の酔の元気がさせた業ではあるまいか。神功皇后が御子応神天皇の無事なお帰りを祈って作った待ち酒をささという言葉で代々伝え、今の世の人も酒のことをささと言い、ささを召し上がれをいう。

3.劉伯倫や李太白のような中国の詩人は、大の酒好きであったから有名になったので、酒飲みでなかったら、普通の詩人や学者に過ぎないであろう。

吉野山の桜や竜田川の紅葉も、酒を携えて見物するから興も起きて有名になったので、酒がなければ普通の名所ではないか。

解説
[調弦]
三絃:本調子 - 二上り - 高三下り
箏:半雲井調子 - 平調子 - 中空調子

[作曲]
菊岡検校
箏手付け:八重崎検校

[作詞]
島田両造

[他]
京風手事物。別名「酒」
酒にまつわる様々な故事・伝説を引いて、酒の功徳をたたえたもの。
手事は前後二回あり、いずれも手事・中チラシ・本チラシの構成。箏と三絃の掛け合いが70回近くあり、しだいに酔いがまわって高潮していく様を描く。
かつての許し物。

インターネット上で見つけた歌詞の解説サイトです。こちらはリンクして参照頂くのが良いのではと思いますので、URLを掲載させていただきます。(山戸 朋盟様のHPより)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~houmei/kasi/sasano_tsuyu.htm

2017年4月1日土曜日

曲目発表!!

こんにちは。
うららかな春の日に、「而今の会」の曲目発表ができますことを、心から嬉しく思っております。



当日のプログラムは、以下の通りです。

『而今の会(にこんのかい)』
平成19年8月18日(金)夕方より
於:長野県上伊那郡飯島町、「飯島陣屋」

1.六段の調(八橋検校作曲)
 箏本手:大庫こずえ 箏替手:東啓次郎
2.秋の七草(文部省音楽取調掛撰、伝三世山登松齢作曲)
 箏:大庫こずえ 尺八:山口籟盟
3.黒髪(恋出市十朗作曲)
 三絃:東啓次郎 尺八:山口籟盟
4.夕暮の曲(琴古流尺八本曲)
 尺八:山口籟盟
5.笹の露(菊岡検校作曲)
 三絃:大庫こずえ 箏:東啓次郎 尺八:山口籟盟


2、3は、大庫・山口、東・山口の「ジョイントweb演奏会」で共演した曲になります。リアルな場で、実際に合奏するのは初めてとなります。

5は、「而今の会」3名そろって、初めての全員での合奏となります。
選曲の経緯ですが、会場の候補地として当初「酒蔵」も挙げられており、「酒蔵なら笹の露はどうか」という意見が出ていました。結局会場は酒蔵とはなりませんでしたが、「笹の露」に関しましては楽曲が格調高く聴きやすいこと、掛け合いが多いので、それぞれの奏者の個性が目立つのではないかということ、また奏者が次々交代していく展開が、ふだん地歌箏曲に耳馴染みのない方にも新鮮に感じていただけるのではないかという理由から、会の終曲に決定しました。芸歴も流派も住む地域も異なる3名による「笹の露」、どうぞご期待下さい!

それから、大庫・東の組み合わせでオープニングの「六段」、これはこれまで「大庫・東」の組み合わせでの演奏公開をしていなかったことと、「昔の古典の会の口切は、段物・組歌で始まっていた」という意見もあって、箏二面での演奏を披露したいと思っております。

4曲目に、山口の毎月1曲の「10分で琴古流本曲」シリーズから、「夕暮の曲」を演奏させていただきます。当日の長野県の日の入りは18:35ということで、演奏会開催予定の夕方〜日没あたりにはちょうどこの曲とマッチした雰囲気になっているのではないかと考えています。




中央高地に位置する長野県では、盆を過ぎると日の入り後は涼しくなり、虫の音も聞こえてくるということです。当日は、飯島陣屋内の奉行所のお座敷に 燭台のロウソクと行燈の灯を灯し、江戸時代の様式を彷彿とさせる空間で古典の三曲合奏をお聴き頂きたいなと考えております。「而今の会」一同、心よりご来場お待ちして居ります!!

2017年3月26日日曜日

兼業尺八家・山口籟盟

こんにちは、山口です。
東さん、大庫さんに引き続き、あらためて自己紹介をさせていただきたいと思います。


 僕は「兼業尺八家」であり、普段は福岡県の小学校教員として働いています。
公務員ではありますが、「伝統芸能」枠で正式に許可を得て兼業しており、久留米市を拠点として演奏・教授活動をしています。




 尺八を始めたのは12歳の時でした。
地域のおじさんが、お宮のお祭りで神輿の笛を担当していた僕に「日本の笛に興味があるなら、尺八を習ってみんね」と声をかけてくださったのがきっかけです。
現在、35歳ですので、始めてから現在まで23年間、尺八を続けてこられたのは、本当にありがたいことだと感謝しています。


僕の出身地は、北九州市近郊の郡部なのですが、北九州市はかつて「北九州工業地帯」としておおいに栄え、新日鉄などには尺八のクラブなどもあって、12歳のときに入門したその先生はそこで尺八を始められたのだそうです。その方は都山流でしたが、お宅には山口五郎先生の「尺八のおけいこ」のテキストブックがあり、「この人が日本で一番尺八が上手な人だ」と教えてくださったのが記憶に残っています。


 ただ、少年時代の僕は、実は「シャクハチ」なる和楽器を見たことも聴いたこともなく、先生宅で初めて実物を見たときは、「笛」という語感からあまりにもかけ離れた、節くれだったイボイボのあるその外観や、なんとも言えない音色に絶句しました。それなのに始めたのは、単純に「断れなかったから」です。



僕の実家は完全に洋風建築で、イスとテーブルの生活であり、畳というものがありませんでした。父はクラシックやビートルズを始めとする洋楽が好みで、そうした音楽を日々聴いて育ちました。先生宅での稽古は「正座」でしたが、本当に正座が持たず、「あぐらかいてもいいよ」と言われても、その「あぐら」がかけませんでした。よく、海外の方が来日されて「あぐら」をかいているとき、股関節が硬くて、半分「体操座り」のようになっている写真などがありますが、まさにそんな感じでした。「あぐらは楽」という認識は、当分自分の中には生まれませんでした。


そんな、「尺八」や「日本文化」に対して前向きなイメージが持てない僕の認識が変化したのは、中学3年の夏休みに、町の教育委員会の派遣で、2週間オーストラリアにホームステイしたことがきっかけでした。海外に出てみると、あらためて「日本の良さ」がよくわかるものですね。もちろん、オージービーフのステーキも味わっていただいたのですが、向こうの食生活にどっぷり浸かった後の帰国間際には、「和食って美味しい」「日本茶って、おいしい」と心から感じました。



 そのホームステイ中、現地のハイスクールとの交流会があり、そこで尺八の演奏をする機会を得ました。曲は「八千代獅子」。尺八のみの独奏で、自分自身が曲そのものをよくわからないままとにかく夢中で演奏したのですが、オーストラリア人の同世代の生徒から歓声と熱烈な拍手をもらったときには、本当にうれしかったです。「ああ、この日本の音楽って、『いい』って思ってもらえるんだ」と初めて気付いたんですね。この体験が、日本文化、尺八、とりわけ純和風で伝統的な要素に強い興味を持つようになった原動力になっていると思います。




高校生になると、ギターやロックにはまり、一時期尺八とは疎遠になったりもしました。そのとき、ブリティッシュ・ロックから、いわゆる「プログレッシブ・ロック」へと興味が進行し、クラシックや東洋音楽などの要素を取り入れた、変拍子や特殊なコード、長い演奏時間といった特徴を持つ楽曲もよく聴きました。「イエス」とか「キングクリムゾン」とかですね。今でも好きで、時々聴いたりします(その辺りの経験も、地歌箏曲の20〜30分という曲の長さを苦痛に感じない一因になっているのかなと、今更ながらに感じています)。LPレコードに凝って、中古レコード屋に入り浸ったりもしました。ただ、ギターの方はモノにならず、久しぶりにたまたま手にした尺八の方が思い通りに演奏できることに気づいたこともあって、再び尺八を練習するようになりました。


その頃出始めた「古典ライブラリー」というカセットテープを買って、それに合わせて演奏したりもしました。高校時代にバンドを組んだりとかがうまくいかなかった反動(?)が、三曲合奏の方へ向かったような面があったように思います。「合奏するって、楽しいな」と気付きました。中学時代に芽生えた「日本文化」への関心が発展して、夏目漱石に傾倒し、和服を着始めたりもしました。




漱石への憧れも手伝って、熊本大学に進学し、大学時代の4年間は、アルバイトの時間を除いて全て和服で通しました。邦楽部に入部し、部室で出会った邦楽ジャーナルの通販で、山口五郎先生のCDを買いました。衝撃でしたね。こんな素晴らしい尺八の音色や演奏があるのか!と。学生邦楽のイベント「学フェス」で、全国の学生の琴古流尺吹きとも出会い、決心して琴古流に転じました。


 琴古流の中でも、憧れの山口五郎先生の「竹盟社」の芸をお習いすることができるようになったのは、大学2年生の冬、「学フェス」の姉妹イベントの「尺八講習会」に参加し、そこで師匠の吉村蒿盟先生とお会いしたことがきっかけでした。それから大学を卒業して関西へ移住するまでの2年半、毎月夜行バスで熊本から関西までお稽古に通いました。アルバイト代は、交通費や青譜、その他もろもろの尺八関連にほとんど全て変化しました。自分の心から愛する音楽を習えるということに、心が踊るほどの幸せを感じました。


大学卒業後は「プロ演奏家」を目指して関西で本格修行を始めましたが、結果としては教員採用試験を受け、教職という「本業」を持った上で尺八の活動を行っていく方向に落ち着きました。いろいろ悩みましたが、本業で生活の面の安心感を持った上で、自分の本当に大好きな尺八本曲や地歌箏曲を中心に据えて演奏活動を行っていくというのは、僕の性格に合っている一つの道なのかなと思っています。関西で活動を続けていくつもりでいたのですが、祖父母を亡くしたときの自分の両親の様子を見て、親元の近くに戻りたいという心境が生まれ、10年間の修行期間を経て師範を許されたのち、地元福岡県に戻りました。

【籟盟の尺八稽古帳(山口籟盟のブログ)より、「最後のお稽古」】



出身県が福岡であるとはいえ、関西で修行を積んで戻ってきた私にとっては、芸の上では「アウェイ」な地。知名度も人脈もほぼゼロに等しく、帰郷してからの5年間という期間は、自分でも挫けそうになるほどに無力感を感じる日々でした。 帰郷時に自分の中にあった青写真は、それこそ師匠をモデルとした、週に数回程度お稽古をし、お糸の先生方との関係を築き、自分の社中を基軸にした温習会や演奏会を活発に行っていく、という伝統的なものでした。修行地・関西では、師匠はもとより、たくさんの御社中でそのような光景を目の当たりにしていましたし、「きちんと本物の芸を追求していれば」そうした道が開けていくのは自明のことであると信じていました。 


しかし、この5年間をかけて、入門者減・高齢化の急激な流れは、現在進行形、いや加速度的に進行しており、もはや歯止めの効かない段階に来ていること、そしてかつての自分をはじめ、主に都市部での体制が安泰である御社中にあっては気づくことができない、もはや「手遅れ」といっても過言ではないような状態に事態が進行していることに、否応なく気付かされたのです。それは、地方に下り、芸の上で師匠の後ろ盾のない単独の状態であれこれ試していくうちに痛感したわけですが、今ではそうした現実に気付くことができた自分の今の立ち位置に、心から感謝をしています。


 そこで試みたのが「web演奏会」という、自分の演奏動画をYouTube、Facebookで公開する取り組みです。その詳細や、そこからオンラインで三曲合奏を行う「ジョイントweb演奏会」、さらに「而今の会」へと発展していったことは、以前の記事でご紹介した通りです。
【「而今の会」への思い(山口籟盟)】



 「新しい曲」「よく耳にする曲」を演奏して、和楽器に興味を持ってもらおうとする活動は、たくさんの方が一生懸命取り組んでおられます。僕は、そうした活動も素晴らしいし、とても大切だと思います。しかし、僕が活動の主軸にしたいのは、伝統的な三曲合奏の素晴らしさを、「新しい方法」で、より音楽的・芸術的な魅力が発揮されたかたちで発信していくというスタイルなのです。そのために、今一番心血を注いでいる活動が、僕の場合この「而今の会」なわけです。本当に僕は、心からワクワクしています。大庫さん、東さんとご一緒に、三曲ができる8月18日を、心待ちにしています。これからも準備に邁進していきますので、どうぞみなさま、当日を楽しみにしていてください!!

2017年3月25日土曜日

原点回帰のきっかけはFacebook

而今の会の大庫こずえです。

 私は 十代で山田流箏曲に出会い 中能島欣一先生山口五郎先生 藤井久仁枝先生などなど今は亡き名人の演奏を 生で聴いた幸せな世代です。

 故あって山田流のいない地方に居を移してからというもの、月一でのお稽古に東京に通いながらも 相手が揃わなければ成り立たない山田流の演奏の機会はなく、やむなくソロでの演奏スタイルを確立してきました。

 昨年 Facebookで山口籟盟さんと文字でお話しを交わしはじめ 現代の若者ならではの発想のweb演奏会なるものに参加させて頂いた事がきっかけとなり この夏には静岡の東啓次郎さんと共に現実に三曲合奏が実現するという急展開には 何事も続ける事の大事さ醍醐味を感じた次第です。 どうぞよろしくお願い致します。


 私の住む長野県は 箏曲の正派発祥の地、地域のその方達とボランティア演奏などもしています。


2017年3月19日日曜日

8月は甦る伊那県庁 飯島陣屋にタイムスリップ

初めまして。
而今の会メンバー 基本山田流の大庫こずえが 現地視察をしてまいりましたので 会場をご紹介いたします。
以後 どうぞお見知り置きを❗❗

1868年から1871年まで伊那県の本庁として政務を司った飯島陣屋。
8月18日(金)而今の会初の演奏会場となる この現長野県飯島陣屋を下見し 打ち合わせをしてまいりました。
奉行所のお座敷に 燭台のロウソクと行燈の灯を灯し、江戸時代の様式を彷彿とさせる空間で古典の三曲合奏をお聴き頂くという またと無い企画となります。
而今の会演奏会をどうぞお楽しみに。