2017年6月25日日曜日

「笹の露」中歌のオンライン下合せ【演奏動画付】

今回は笹の露・中歌の「オンライン下合せ」ですが、唄の東がまず撮影、その音源を聴きながら、大庫がイヤホン合奏、さらにその音源を聴きながら山口がイヤホン合奏をして合成という順番で行いました。


「東・大庫」のツーショット・オンライン下合せ動画は、初となります。どうぞご覧ください。

【三絃本手、唄・箏替手による合奏】







今回は私が中歌を歌わせて頂いて
おりますけども、ノリながら歌うので
普段は緩めに弾いている分、いざ合わせますと

かなりテンパってます(^_^;)。

とは言え、聞こしおせの無伴奏の独吟は
場面転換の重要場面ですので、
ここはやんわりとお酒をすすめる意味合いで
歌って行きたいですね。



【さらに尺八をオーバーダビング】




今回は私がイヤホンで 東さんの演奏に合わせ、その後山口さんが尺八を加えるという本邦初の三人のオンライン下合わせとなりました。
お互いの気配を感じながら演奏出来たらとても気分が良いだろうと想像できました。




尺八がちょっと大きくなりすぎてしまいました…
メリのピッチがちょっと上がり気味になるときがあるので、気をつけます。
最近、気温が上がって、甲のロとかツのメリとかが、冬に比べて上がってきています。
これまでの大庫さん、東さんとの「オンラインの共演」は、昨年の秋から冬、そして今年の春にかけてなので、ピッチが440くらいまで落ちていましたが、本番は夏なので、多分442くらいまで上がっていそうです。
今は441くらいでしょうか。

「オンラインの共演」となると、実際に場を同じくしていないので、
時や場所だけでなく気候や楽器ごとの条件などもずれたりしており、
パソコンで合わせる際にも微細なズレが「違和感のある合奏」となるなど、
やはり「リアルな場での合奏」にはない難しさがありますね。

我々の「リアルな場での合奏」は、本番当日に初めて実現するでしょうから、
それまで「ネット」を利用して、できる限りあらゆる方向性から合奏の成功に結びつけていきたいですね。

2017年6月17日土曜日

今日はラジオ番組収録

こんばんは 大庫こずえです。

今日のトピックをご紹介します。

長野県のSBCラジオの「上田ぶらり散歩」という番組で 8月に行われるしるしプロジェクトの催しを取り上げて下さるという事になり、本日急遽収録に伺ってきました。


メインパーソナリティは 8月18日開催の催しでお茶席を担当して下さる小宮山師匠
そしていつも穏やかなお声で師匠のお相手を務める小林良子アナウンサー。

今日の放送10周年記念の公開録音を終えて間も無く 我々のひと番組を収録するというタフなお二人との収録風景。


「而今の会」が どんな練習方法を編み出したかも紹介しています。

放送は7月後半になる模様です。

「笹の露」後の手事・オンライン下合せ【演奏動画付き】





こうして手事を演奏してみるも、やはり「京風手事物」の王道というか、いかにもな菊岡・八重崎両検校の節回しで、整った美しさがありますね!

「笹の露」は、両検校の作曲の中でも、特に掛け合いが多いので、こうした「オンラインの共演」でも、それぞれの奏者の個性の違いがうまく主張し合えていいですね。

「イヤホン合奏」は慣れるまで本当に難しいのですが、回を重ねるごとに少しずつ自然な音の交わりに近づいている気もしますね。「合奏」ということそのものが、初めての時はどこかぎこちなかったりしっくり来にくいところがあったりするのが、何度も合わせていると少しずついい塩梅になってくるもののように思いますが、それは「オンライン下合せ」でも同じですね。




まだ慣れるまでに時間がかかりますが、
こう言う合わせ方も面白いものですね。

こうした状況下での合わせでも、
生で合わせるのと変わらずにやんわりと

絡んで行きたいです。

2017年6月12日月曜日

東版「笹の露」オンライン下合わせ

笹の露のオンライン下合わせが漸く走り出した所です。

私はイヤホンを装着しないで音源をそのまま
聴きながら取り組んでました。

しかしながら、不具合が起きますので昨日になって
漸くイヤホンを用意して合わせる形を
とる様になりました。

動画でこんな感じで取り組んでいるのが
お分かり頂けると思います。



















僕も今回痛感しましたが、やはりどうしても「三絃本手に、箏替手が合わせる」と考えてしまいやすいんですが、やはり三絃本手も箏をよく聴いて、間合いを感じながらお互い合わせているということが、これを機会にあらためてよくわかりました。尺八は三絃本手にベタなので、三絃+尺八では意識しないのですが、箏が入った状態で編集していると、時々「あれっっ!?三絃と尺八、走ってる??」という感覚を受けました。箏がないときは「乗ってる」感じなのにです。「尾上の松」の後歌の宮城の手、あそこって三絃本手が合わせてあげる箇所ですよね。ああいう要素が、やはり通常の地歌箏曲でも必要なんだということがよくわかりまして、僕としては非常に勉強になった編集作業でした。














やはりお互いに聴き合う形で進めるのが
一番の理想だと感じますね。
















本当にそうですね。「オンライン下合せ」の難しい壁であると同時に、かえって「三曲の本質」とは何か、教えてくれる一日でした。どうもありがとうございました。













そうなんですよ。
独走(!)ではないんですよね。
お互いの息 間合いを感じながら演奏するから 合奏の醍醐味が味わえるんです。

2017年5月27日土曜日

「笹の露」尺八の難所【演奏動画付き】

こんにちは、山口です。

先週の記事でお伝えした通り、現在「而今の会」は「オンライン下合せ」の真っ最中なのですが、今週から各パートのお稽古模様を記事リレーにてご紹介しようと思います。
トップバッターは、尺八の僕からです。


さて、よく言われるのが、三曲において「三絃は骨、箏は肉、尺八は皮」という例えです。
完全に的を得た例えなのかどうかはともかく、僕としては三絃は「本手」唄も手も共に曲の骨格である存在、箏は「替手」として本手の三絃を装飾し盛り上げていく存在だなと理解しております。

それに対し、尺八は唯一の「持続音楽器」であり、特に琴古流の尺八は三絃本手に「ベタ付け」になっていますが、その役割としては「音と音を流麗につなぐ」こと、「音の増幅や減衰、音色のふくよかさ」などを表現していくことなどに存在意義があるのかなと考えています。つまり、音楽としての本質面は基本的に糸方が担って下さっているところに、如何に尺八が入ることで音楽的な付加価値をつけることができるか、そこが値打ちなのかなと考え、日々精進を重ねております。

地歌箏曲はその名前の通り、地歌と箏曲だけで成り立つ音楽であり、糸の先生によっては「糸の余韻を消すから、尺八はない方がいい」というお考えの方もあられると聞きますので、「尺八が入ってよかった!」と思っていただけるためにがんばっています。




さて、「笹の露」は奥傳曲の中でも二つの手事を持つ長大な楽曲であり、全曲通すと20分を超えます。その中で、軽妙な歌詞や美しく整った旋律、そして「さしつさされつ」の70回近くもある掛け合いなど、たくさんの聴きどころがあるのですが、それと同時に糸方の「調弦替え」による、飽きさせない曲展開も魅力的だと思います。20分を超え、手事が2つあるような大曲になると、「八重衣」のようにあえて本調子で通してあるような例外を除き、一般的に三絃は低めの調子からしだいに調弦を上げていくような展開が多いようです。「笹の露」も初めは本調子で出て、1つ目の手事を終えて中歌で二上りとなり、後の手事のチラシあたりで転調して、後歌で高い三下りとなります。個人的に、この「後歌の高三下り」が、尺八にとって「笹の露」の「難所」の一つであるように感じています。


というのも、「高三下り」とは、二上りの「ロ、チ、ロ」から一の糸を1音上げて「ツ、チ、ロ」となっています。これは、通常の三下りの「ロ、レ、リ」から全て1音上がった調子、つまり「八寸管から見た六寸管の調子」となるわけなんですね。本当ならば後歌でサッと六寸管に持ち替えれば、指使いはふつうの「三下り」の通りになるところを無理やり八寸管でやっているので、「難しい転調」の連続のような指使いに見えるんです。だから、「ツの中メリ」「レのメリ」「ヒの中メリ」「五のヒのメリ」の連発になるわけですね。


これらの「ややこしい指使い」は、琴古流では基本的に替え指をせず「音階上メリの音」が必要な音はメって出します。例えば、「レのメリ」「ツ」「五のヒのメリ」「ヒ」と同音です。ですから、流派や会派によっては出しやすい全音の指使いに置き換えて吹くこともあるようです。しかし、それでは「メリの音色」がどうしても出ません。

六寸管の「ロ、ツ、レ、チ、ヒは、八寸で吹くと「ツ、レ、チ、ヒとなるのであるから、「レのメリ」は「ツのメリ」の、「五のヒのメリ」は「ヒのメリ」のつもりで吹く必要があるわけです。

とにかく難しい手の連続で、音程も狂いやすいし、長い曲を拭き通してきた最後のところでとても細かな神経を使わなければならないポイントなんですが、だからこそ演奏しがいのあるところでもあります。「御山獅子」「西行桜」なども、最後のところは同じような難しい指使いが出てきます。こうした曲でいかに「自然」に聴こえるように吹けるか。「八寸管で吹いているのに、まるで六寸」のような音のタッチを表現できるのか、練習を重ねて行きたいところです。





【而今の会・「談話室」にて…】











三絃の本調子→二上り→高三下りと、
お箏の半雲井調子→平調子→中空調子の転調は
宇治巡りや西行桜と同じ構造でして曲が

進むにつれ段々と高潮して行くのを感じますね。

それと同じくして歌の声域も上がりますので、
前歌や中歌で使い切らずちゃんと後歌まで
残して行ける様に歌えれば御の字です。

















「高潮」まさにその通りだと思います。
「手事2つ」の曲の多くが持つ、独特の高揚感がありますよね。
「松竹梅」「根曳の松」なども、最高潮に盛り上がって、炸裂するように終わるかっこよさがありますよね!









2017年5月20日土曜日

いよいよ、「笹の露」のオンライン下合せへ!

こんにちは、山口です。



気がつけば「而今の会」ブログも、今回で16回目の記事となっております。毎週更新していますので、「16週目」ということはもうこのブログを立ち上げて4ヶ月が経過したということなんですね!早いものです。

で、最初の記事を何気なく見返してみると、なんと日付の「2月23日」って、僕の誕生日だったのでした。


その日のFacebookの書き込みを表示してみると、而今の会を始めることができた喜びが湧き上がってきている自分の興奮が思い出されます。



ちなみにその12日前、2月11日のFB書き込み「ライブしたいっっ!!!」が全ての始まりで、大庫さん、東さんがお声をかけて下さって結成と相成ったのでした。本当にありがたいことでした。





さて、これまでブログでは、会のコンセプトとか、音楽性の方向とか、あるいはメンバーがどんな人となりなのかなどをご紹介してきましたが、現在「而今の会」は、いわゆる「オンライン下合せ」を開始しております。

この「オンライン下合せ」とは、遠隔地ゆえに実際に同じ会場で顔を合わせての下合せが難しいため、お互いに録音した音源をメールでやりとりし、その音源を聴いて合わせる練習をしたり、自分自身の録音をパソコン上で合成し、できた音源をお相手に送り返して聴いていただき、メールで意見交換をしながら、また録音や合成を繰り返していきという過程をふんでリハーサル音源を仕上げていく、ということです。

「而今の会」のメンバー間では、これまで「秋の七草」「千鳥の曲」「黒髪」の3曲を「ジョイントweb演奏会」で公開してきましたが、そのときも実際に撮影に入る前に、こうしたネットを介した下合せを行いました。3曲とも「糸・竹」の2人での合奏であったため、さきにお糸の方に録音していただいて、こちらでそれを「イヤホン」で聴きながら合わせておりました。このときは、相手の録音と自分の尺八の音の両方が確認できるよう、「イヤホン」は片耳にさしています。



ただ、今回「3人」でのオンライン下合せは初の試みとなります。「3人」だと、最初のお一人(つまり三絃本手の大庫さん)に弾いていただいた音源に、箏の東さん、尺八の山口の2人が「イヤホン」で合わせないといけません。さらに、「笹の露」は掛け合いが多く、その間が合わないといけないのと、お糸のお二人には「歌い分け」をしていただくので、そこのところも再現しなければなりません。

目下、大庫さんに録音していただいた「笹の露」全曲(なおかつ掛け合いのところは拍子どおり空白・歌い分けの東さんのところは大庫さんは手だけの演奏)の音源とともに、東さん・山口の二人が猛練習中というわけです。

よき演奏をめざしてガンバリマス!!!

2017年5月14日日曜日

たまたま母の日

こんにちは
「而今の会」の大庫こずえです。



東京で生まれた私は 20代に首都圏の生活から一転、山に囲まれた現在の場所に移り住みました。
30数年前、新宿から特急あずさに乗り 途中から飯田線に乗り換え、生まれて初めて降り立ったこの地は 清々しい秋晴れの午後。

南アルプス 中央アルプスの高い山々に囲まれ、東京では見たことのない青空 澄んだ空気 そして真昼間の駅前なのに誰もいない…
悲しくなるような美しさでした。



山田流のお箏など知る人のないこの地で我が音楽的欲求を発散させるべく 娘1が幼稚園に入った時にバイオリンを習わせ始めました。
長じてヴィオラに転向し 先日初めて共演という機会を得、積み重ねた年月を改めて噛み締めたところです。


娘2は、生まれた時から 泣こうが騒ごうが姉のバイオリンの練習が先という環境で育ち 同じ様に習わせたにも関わらず、その方向は選ばずに 料理好きオシャレ好きでお茶目な現代っ子となり 今は気ままな東京一人暮らし。


同じ母から生まれたとはいえ 正反対のようなこの二人、旅行をしたり 長電話をしたりと仲良く独身を謳歌しているようで、私は傍で二人産んでおいて良かったと思うことしきりです。

私も姉との二人姉妹、最近は老いた母の話題で話す機会が増え 相談出来る相手がいることがどんなに有難いかと 産んでくれた母に感謝しています。


折しも今日は感謝し感謝される(であろう)母の日でした

2017年5月6日土曜日

兼業尺八家・山口籟盟の日常

こんにちは、山口です。
今回は而今の会の「メンバーの素顔」ということで、東さんから記事のリレーがスタートしています。
僕は本業が別にある「兼業尺八家」ということで、いったい普段どのような暮らしをしているかについてご紹介してみたいと思います。




平日は、小学校教員をしていますので、6:00に起床、7:00過ぎに出勤しています。
3年前までは、自宅のアパートが音を出せる環境ではなく、なおかつ勤務先まで車で1時間・道のりにして40km以上ありましたので、筑後川河川敷での朝練ばかりでした。

今はそれに比べて、1戸建ての貸家に住み、お稽古できる座敷もあり、勤務先もわずか9分(!!)に改善されたので、本当に恵まれた環境です。




出勤してからは、とにかく公務優先ということで、脇目も振らず(!?)お仕事をがんばっています。朝8:30から夕方5時までが勤務時間ですが、その間はほとんど生徒の対応のため授業準備の時間がとれないので、実際には朝到着してから始業までと、終業時刻から夜7時くらいまでの間に翌日のノート準備や社会の授業プリント作成、理科の事前実験などを行っています。あと、テストの丸付けや学校行事の準備などもあります。今年度は6年生の担任なのですが、勉強はもうほとんど中学の内容に近づいていて難しいので、準備にも気を使います。勤務先にいる間は、脳裏から尺八に関することはほぼ消えています。




…で、夜7時に帰宅し、夕食を頂いてからがようやくお稽古の時間になります。あまり夜遅くまではできないので、食事をしてしばらく休憩してから、30分くらいでしょうか。奥傳曲1曲を通せたら、「ああ〜〜!今日はちゃんと練習できた〜〜!!」という感じですね。忙しくて退勤が遅くなった日は、楽譜を広げる時間も惜しんで「一二三鉢返調」だけとか、「六段」だけとか、もっとひどいと「鹿の遠音」のムライキまでして「レロー」とか、そんな時もあります。とにかく、与えられた環境の中で極力ねばってなんとか吹いています。


そのあと、皿洗い、子どもの寝かしつけなどでドタバタして、自分自身が入浴して風呂からあがると、もう1日が終わったという感じで(ネットとかFBのチェックとかはしていますが)、怒涛のように毎日が流れていきます。お風呂から上がった時に、顔の表面が乾燥しないように、湯布院で買った温泉の濃縮液と、自然派化粧水を塗り、翌日の尺八を吹けるコンディションを維持しています。冬は特に乾燥肌になりやすいので、マスクをつけて寝ています。

冬季は職場でも、生徒の前とか、マスクを外すべきタイミング以外はマスクをはめたままが多くなってしまいます。尺八の調子の維持には、もともと音の調子がすぐに落ちてしまいやすかった過去の苦い経験もあって、非常に気を使ってしまいます。



尺八は、中継ぎで折りたたむと持ち運びしやすい楽器なので、基本的にいつも肌身離さず常に持ち歩いています。カバンの中には必ず吹料の利道道仁銘八寸管、つゆきり、そして三浦琴童譜(乾坤の2冊で本曲36曲がすべて収められているもの)の3点セットが入っています。



この習慣は高校時代、父の友人でフォークギターのセミプロの方(父もその方も教員でした)が僕の前で「ジャラッ」と小銭入れを見せてくれ、その中に入っているギターのピックを指差しながら「ミュージシャンってのはね、常にこれを持ち歩いているんだよ」と語ってくださった思い出が大きく影響しているように思います。


休みの日は休みの日で、金曜日の後のバタンキューで土曜の朝は遅めに起きてしまい、家族で出かけたりとか、買い物をしたりとかあれこれあるので、結局お稽古ばかりはできません。子どももまだ小さいですしね。土日も、奥傳曲を2〜3曲吹けたら「ああ〜〜!今日はちゃんと練習できた〜〜!!」という感じです。月に1回「web演奏会・10分で琴古流本曲」の『収録』があるので、そういう時は午前中いっぱい座敷が『立ち入り禁止』となり、紋付に着替えて演奏を撮影しています。午後はそのアップの作業や解説文の執筆などになりますね。「多重録画」の場合は、Macで合成作業や書き出しに時間がかかるため、もう丸1日の作業となります。…そう考えると、家族から見ると、月の4分の1は尺八にかかり切りになっているように見えるでしょうね…




なかなか「兼業」も思うように尺八ばかりに時間を使えないのですが、大好きな琴古流尺八で、本曲や地歌箏曲を演奏することができて、ネットでも自分の書きたいことを自由に執筆できて、YouTubeが中心ですが時々リアルな場で演奏できて、今はこうして「而今の会」の本番に向けてあれこれ自分なりに工夫できているので、これは本当にありがたい境遇だと最近しみじみ感じております。

2017年4月30日日曜日

ネコと私

皆様こんにちは、東でございます。

今回は三曲の事から離れて私の愛猫2匹の
事をお話しましょう。

当家にはスコティッシュフォールドの
立ち耳の仔達がおり、クウとチャイ(二代目)と
家のマスコット的存在です。

家の稽古にみえる皆さんに挨拶したり、

遊んで貰うのが2匹の一番の楽しみと言えます。



私の部屋のネコ座敷で寛ぐ2匹です。
右がクウ(11歳·元オス)、左がチャイ(1歳·元オス)の
スコティッシュフォールドの立ち耳の仔達です。




初めて一緒にチャイと撮ってみました。
ヤンチャ坊主ですので、なかなか撮らせて
くれなかったのが最近は落ち着いて

来たのか、素直に撮らせてくれます。



クウはおとなしく撮らせてくれますので、
抱っこしても暴れたりしません。

2017年4月23日日曜日

酒 復称笹の露

こんにちは、山口です。



琴古流の尺八界では古来より、「笹の露」のことを副題とでもいうべき「酒」の呼称で呼ぶ習慣があります。青譜の題箋にも「酒」とあり、その下に小さく「復称 笹の露」と書かれています。僕はもともと都山流の出身なので、琴古流に入門して初めてのおさらい会のプログラムに「酒」と書いてあるのを見て「そんな古曲、あったっけ!?」と驚いたところ、「笹の露」だった、という体験をしました。琴古流独特の曲の呼び方や漢字の使い方はいくつかありますが、それらは琴古流の「味わい」として、大切に伝承していきたいなと思っております。



さらにもう一つ、琴古譜の「笹の露」には、作曲者の記載箇所に「石川勾当」(正しくは菊岡検校)と書いてあります。これも、師匠の御宅でお稽古をつけて頂いた時に教えていただいて訂正した思い出があります。白譜の「笹の露」は持ち合わせていないので確認できないのですが、青譜や白譜が出回り始めるより一世代前の青刷りの琴古譜でも「酒、石川勾当作曲、笹の露トモ云」とありますので、近代に現行の琴古譜や地歌箏曲の手付けが完成して以来、曲名の呼称と作曲者名の誤りは「琴古流の伝統」とでもいうべきものになっているようです。面白いですね。



さて、「酒」といえば、もちろん地歌箏曲の「笹の露」も尺八界において人気の奥傳曲といえると思いますが、それと同等、いやそれ以上に「本物の」酒の方も、尺八界には大層な愛飲家が多いようです。雑誌『三曲』の記事をめくると、本当にそういう話題が多いので、ここで二、三取り上げてみたいと思います。

◎豊田古童(初代古童)
当時日本随一の名人と呼ばれた初代古童師に入門を許されたので竹翁先生は飛立つばかりに喜び勇んで、早速その翌日から稽古に通はれたのです、其時竹翁先生の宅は下谷の大恩寺前で、そこから日本橋の箔屋町にある古童師の家へ日々通ふのですが、どうした事か一向に教えて呉れる気配がない、それでも構はず通ふが色々の口実を以て尺八は手に取らぬ、最もこの豊田古童と云ふ先生は天性酒落の人で、酒も余程嗜まれてゐた様子、いつも酒を飲んでゐては「明日こい」翌日行くと又「今日も一杯やっとるから明日来い」又翌日行くと「今日は尺八を作ってゐるから明日来い」といふ調子で毎日々々口実を設けての門前払ひ、かうなれば根気較べです、飽迄熱心な竹翁先生のほうでは只習ひたい一念から根気よく通ふこと二ヶ月に渉りました、然しそれでも所詮相手にされそうにはない。
そこで先生も決心されました、それは丁度大雨の降る日、今日こそは師匠も閑であらう、今日往て若しも教へて貰へなければ断然自分は学ばぬ、あきらめぬ、と決心して出かけて行きました、相変らず師匠は酒に酔て座敷に寝てゐたが、竹翁先生又も懲りずに来た所を見て「ソラ又やって来た」とばかりに冷やかに見て相手にせぬ、竹翁先生は決心はしておるが悄然としてその玄関に佇立んで如何にも無念の思入れ、その姿と顔を見てか忽ち「まァ上れ」と初めてこんな声がかゝったので、驚きの眼を張って竹翁先生は不思議な仕合せと、初づ暫く座敷に上られたのです、その時初めて初代古童師は莞爾した顔になって話し出されました。「実は今迄お前に教えなかったのはお前の心を試したのだ、お前の熱心もよくわかったから此上は今日からミッチリと稽古して、私が知ってる所の秘曲は悉くお前に伝えよう」とうって変って親切なる言葉、竹翁先生は感極まって泣かんばかりに喜ばれたのです、これから初代古童師について三年間、本曲外曲も師のものは悉く授かったのです。…
 「荒木竹翁先生」三浦琴童『三曲』大正13年8月より

◎荒木竹翁(二代目古童)
前号でちよと竹翁先生の健康に就て述べましたが、実際先生の強健とその平常に就ては到底今の若い者の遠く及ばぬ処がありまして、酒も随分いけた方で、昼と晩に、日に二度はやってゐられたのですが、最も先生のお酒は四十を越してから飲み出されたので、中々強い方で、従って老いて益々盛んな処が見受けられました。…
 「荒木竹翁先生」三浦琴童『三曲』大正13年12月

◎三浦琴童
…故佐藤左久、上原眞佐喜、三浦琴童、この三人が当時の酒豪で、中でも三浦さんは熱燗で有名、一名熱い燗の事を仲間で三浦燗と云った程、それに就て三浦さんは嘗て言はれた「あれは竹翁さんが熱燗がすきでそのお相手をしてゐたからだ」との事であった。
 「三浦琴童先生を追憶する」藤田鈴朗『三曲』昭和15年5月

…先生の熱燗は有名なものでしたのでいつも先生燗と自分燗のお銚子を別々に二本並べるので先生もお笑いになりました。
 「虚無吹断 三浦琴童先生の憶出」高野宗童『三曲』昭和16年2月


具体的な文面は省略しますが、私の最も敬愛する尺八奏者・山口五郎先生も、お酒が大層お好きであることでも有名ですよね。



尺八家は、酒を愛する人が多いようで、そういったあたりも込みで「笹の露」のことを「酒」と思いを込めて呼んでいるのかもしれませんね。



〜〜〜〜〜@而今の会・web談話室〜〜〜〜〜


尺八の先人方で古来より酒豪はいたのですね。
因みに、宮城譜ですと笹の露の別名として
『一名 酒』
と表記されており、尺八とは逆です。



琴古流の外曲は、荒木竹翁が長瀬勝雄一に師事し、手付けしたものが根源になっています。もしかしたら、その長瀬勝雄一の系統(本格的に江戸に生田流が進出する前の、生田と山田の両方の橋渡しをした芸系。山田流への地歌箏曲の移曲は、長瀬勝雄一の協力によるところが大きいと見られる)で「酒」と呼んでいたのかも知れませんね。しかし、そんな小難しいことよりも、「酒」好きな多数の尺八家たちの精神が表れているのかも知れません。

ちなみに僕自身は、お酒は好きなのですが、昨日はどうも「お酒に飲まれ」てしまって、、、、
飛躍できないのはお酒に弱いからなのかも…



色んな意味で酒の存在は大きいと言えます。
笹の露と言うと、どちらかと言えば女性が使う
イメージがありますので、山口さんの文面から
察すると男言葉でビシッと酒と言うのが
収まるかなと思います。
まぁ、尤も明治以前の三曲は男性中心でしたから
自然と酒で通っていたのでしょう。

女房言葉で『ささ』とか『笹の露』は
使われておりましたので、明治以降は自然と
糸方では笹の露と呼ぶ様になったのだと思えて来ます。



長瀬勝雄一は、関西の方で修行を積み、江戸に帰郷したそうで、その頃は生田が受け入れられるような土壌ではなかったみたいなんですが、その人柄と、山田流との積極的な交流で周りからの支持を得て、名人として名を知られたらしいです。
山田流にも「笹の露」は移曲された訳だし、その昔は「いい!」と思った曲は習って取り入れたり、交換したりと、今の環境よりは逆に芸の面では自由だったんじゃないですかね?



私は調べた訳ではありませんが、移曲という程の取り入れ方ではなかったと思います。
譜面化はされなかったという事は、取得すべき必須の曲とは別に、生田の曲への憧れ的な位置づけで 弾かれていたのではと思います。



昔の芸の交わりは、今よりもずっと
おおらかだったと聞いてますね。
山田では京ものと呼んで生田の曲が弾かれて
ますけども、生田では逆に山田の古典は
弾かないのがナゾです。

2017年4月16日日曜日

箏から目線の笹の露

こんにちは、東です。

地歌箏曲の曲作りは幕末以前は
三絃が原曲ならばお箏は後で別人が手を付け、
更に胡弓(後に尺八)の手が加わる形で
三曲合奏が成立するのです。

笹の露は菊岡検校の三絃が原曲で、
そこから八重崎検校がお箏の手を付ける形で
糸方の合わせが出来て、それから尺八が
加わる事で定番の三曲合奏となります。

私は今回はお箏を弾かせて頂きますけども、
大庫さんの三絃がタテですので、響きが凛として
いる点からお箏を弾くとしたら少し引き下がり
やんわりと弾く形で応えられればと目指してます。

昔ですと、三絃に負けじとバリバリと弾きまくって
ガチンコ勝負に流れて行ったのですけども、
それでは合わせのバランスが崩れてしまいます。

歌舞伎で言えば三絃は立役にあたり、
お箏は女形のポジションであるべきと考えてます。

とは言え、決してナヨナヨとしたものでは無く、
芯はシッカリと持ってお相手させて頂く事を忘れては
いけません。

でないと、手事の差しつ差されつの
流れで勢い付いて段々とベロンベロンに酔い…
『あられもない』
事になります。

流儀によっては糸方がバリバリ互いに弾き合う所も
少なからずありますが、私がお箏に回る時は
常に三絃を引き立てつつ自分の音をジンワリと伝えて
行く事こそが大事と心掛けたいです。

私の稽古は師範代モードのチャイが見守る中、
静かに進めております。


2017年4月9日日曜日

「笹の露」を弾く…

こんにちは、大庫です。

「而今の会」で終曲となる、「笹の露」のお稽古をしています。

この曲は山田流筝曲でも人気が高く 以前私もお稽古はしていただきましたが、本来の地歌として新たにお習いしなおしたものを今回演奏いたします。




私の友達の「地唄FAN管理人」さんが、ブログでこの曲についての詳細をアップしてくれていますので、ちょっとご紹介しますね。(以下、「地歌FAN」さんのブログより引用)
http://jiuta.at.webry.info/201006/article_2.html


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  Special thanks to 管理人 千 様  
    (邦楽データベース → 古典データベース) 

          http://www.eonet.ne.jp/~tngk/deta/koten/frame.html

                            (ご紹介者:藤枝 梅安様)
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笹の露(ささのつゆ)


一 酒は量りなしと宣(のたま)ひし、聖人は上戸にやましましけん。
  三十六の失ありと諌め給ひし仏は、下戸にやおはすらん。
  何はともあれ八雲立つ、出雲の神は八しぼりの、
  酒に大蛇を平げ給ふ。これみな酒の徳なれや。

二 大石さけつる畏みも、帝(みかど)の酔(えい)の進めなり。
  姫の尊の待ち酒を、ささよささとの言の葉を、
  伝へ伝へて今世の人も、きこしをせささ、きこしをせささ。

三 劉伯倫(りゆうはくりん)や李太白(りたいはく)、酒を呑まねばただの人。

四 吉野龍田の花紅葉、酒がなければただのとこ。
  よいよい、よいの、よいやさ。


1.酒は呑んでも適量に飲むべしと仰せられた昔の聖人は、酒に親しんだ人であったろう。酒を呑むと三十六の失敗をする原因となると諌められた仏様は、多分酒を御飲みにならなかったのであろう。何はともあれ、スサノオノミコトが、強い酒でヤマタノオロチを退治したのも、これは酒の力ではあるまいか。

2.応神天皇が御酒を召し上がってよい気持ちになり、道の傍らの大石を御杖でお打ちになったところ、堅い石すら走り避けたということも、酒の酔の元気がさせた業ではあるまいか。神功皇后が御子応神天皇の無事なお帰りを祈って作った待ち酒をささという言葉で代々伝え、今の世の人も酒のことをささと言い、ささを召し上がれをいう。

3.劉伯倫や李太白のような中国の詩人は、大の酒好きであったから有名になったので、酒飲みでなかったら、普通の詩人や学者に過ぎないであろう。

吉野山の桜や竜田川の紅葉も、酒を携えて見物するから興も起きて有名になったので、酒がなければ普通の名所ではないか。

解説
[調弦]
三絃:本調子 - 二上り - 高三下り
箏:半雲井調子 - 平調子 - 中空調子

[作曲]
菊岡検校
箏手付け:八重崎検校

[作詞]
島田両造

[他]
京風手事物。別名「酒」
酒にまつわる様々な故事・伝説を引いて、酒の功徳をたたえたもの。
手事は前後二回あり、いずれも手事・中チラシ・本チラシの構成。箏と三絃の掛け合いが70回近くあり、しだいに酔いがまわって高潮していく様を描く。
かつての許し物。

インターネット上で見つけた歌詞の解説サイトです。こちらはリンクして参照頂くのが良いのではと思いますので、URLを掲載させていただきます。(山戸 朋盟様のHPより)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~houmei/kasi/sasano_tsuyu.htm

2017年4月1日土曜日

曲目発表!!

こんにちは。
うららかな春の日に、「而今の会」の曲目発表ができますことを、心から嬉しく思っております。



当日のプログラムは、以下の通りです。

『而今の会(にこんのかい)』
平成29年8月18日(金)夕方より
於:長野県上伊那郡飯島町、「飯島陣屋」

1.六段の調(八橋検校作曲)
 箏本手:大庫こずえ 箏替手:東啓次郎
2.秋の七草(文部省音楽取調掛撰、伝三世山登松齢作曲)
 箏:大庫こずえ 尺八:山口籟盟
3.黒髪(恋出市十朗作曲)
 三絃:東啓次郎 尺八:山口籟盟
4.夕暮の曲(琴古流尺八本曲)
 尺八:山口籟盟
5.笹の露(菊岡検校作曲)
 三絃:大庫こずえ 箏:東啓次郎 尺八:山口籟盟


2、3は、大庫・山口、東・山口の「ジョイントweb演奏会」で共演した曲になります。リアルな場で、実際に合奏するのは初めてとなります。

5は、「而今の会」3名そろって、初めての全員での合奏となります。
選曲の経緯ですが、会場の候補地として当初「酒蔵」も挙げられており、「酒蔵なら笹の露はどうか」という意見が出ていました。結局会場は酒蔵とはなりませんでしたが、「笹の露」に関しましては楽曲が格調高く聴きやすいこと、掛け合いが多いので、それぞれの奏者の個性が目立つのではないかということ、また奏者が次々交代していく展開が、ふだん地歌箏曲に耳馴染みのない方にも新鮮に感じていただけるのではないかという理由から、会の終曲に決定しました。芸歴も流派も住む地域も異なる3名による「笹の露」、どうぞご期待下さい!

それから、大庫・東の組み合わせでオープニングの「六段」、これはこれまで「大庫・東」の組み合わせでの演奏公開をしていなかったことと、「昔の古典の会の口切は、段物・組歌で始まっていた」という意見もあって、箏二面での演奏を披露したいと思っております。

4曲目に、山口の毎月1曲の「10分で琴古流本曲」シリーズから、「夕暮の曲」を演奏させていただきます。当日の長野県の日の入りは18:35ということで、演奏会開催予定の夕方〜日没あたりにはちょうどこの曲とマッチした雰囲気になっているのではないかと考えています。




中央高地に位置する長野県では、盆を過ぎると日の入り後は涼しくなり、虫の音も聞こえてくるということです。当日は、飯島陣屋内の奉行所のお座敷に 燭台のロウソクと行燈の灯を灯し、江戸時代の様式を彷彿とさせる空間で古典の三曲合奏をお聴き頂きたいなと考えております。「而今の会」一同、心よりご来場お待ちして居ります!!

2017年3月26日日曜日

兼業尺八家・山口籟盟

こんにちは、山口です。
東さん、大庫さんに引き続き、あらためて自己紹介をさせていただきたいと思います。


 僕は「兼業尺八家」であり、普段は福岡県の小学校教員として働いています。
公務員ではありますが、「伝統芸能」枠で正式に許可を得て兼業しており、久留米市を拠点として演奏・教授活動をしています。




 尺八を始めたのは12歳の時でした。
地域のおじさんが、お宮のお祭りで神輿の笛を担当していた僕に「日本の笛に興味があるなら、尺八を習ってみんね」と声をかけてくださったのがきっかけです。
現在、35歳ですので、始めてから現在まで23年間、尺八を続けてこられたのは、本当にありがたいことだと感謝しています。


僕の出身地は、北九州市近郊の郡部なのですが、北九州市はかつて「北九州工業地帯」としておおいに栄え、新日鉄などには尺八のクラブなどもあって、12歳のときに入門したその先生はそこで尺八を始められたのだそうです。その方は都山流でしたが、お宅には山口五郎先生の「尺八のおけいこ」のテキストブックがあり、「この人が日本で一番尺八が上手な人だ」と教えてくださったのが記憶に残っています。


 ただ、少年時代の僕は、実は「シャクハチ」なる和楽器を見たことも聴いたこともなく、先生宅で初めて実物を見たときは、「笛」という語感からあまりにもかけ離れた、節くれだったイボイボのあるその外観や、なんとも言えない音色に絶句しました。それなのに始めたのは、単純に「断れなかったから」です。



僕の実家は完全に洋風建築で、イスとテーブルの生活であり、畳というものがありませんでした。父はクラシックやビートルズを始めとする洋楽が好みで、そうした音楽を日々聴いて育ちました。先生宅での稽古は「正座」でしたが、本当に正座が持たず、「あぐらかいてもいいよ」と言われても、その「あぐら」がかけませんでした。よく、海外の方が来日されて「あぐら」をかいているとき、股関節が硬くて、半分「体操座り」のようになっている写真などがありますが、まさにそんな感じでした。「あぐらは楽」という認識は、当分自分の中には生まれませんでした。


そんな、「尺八」や「日本文化」に対して前向きなイメージが持てない僕の認識が変化したのは、中学3年の夏休みに、町の教育委員会の派遣で、2週間オーストラリアにホームステイしたことがきっかけでした。海外に出てみると、あらためて「日本の良さ」がよくわかるものですね。もちろん、オージービーフのステーキも味わっていただいたのですが、向こうの食生活にどっぷり浸かった後の帰国間際には、「和食って美味しい」「日本茶って、おいしい」と心から感じました。



 そのホームステイ中、現地のハイスクールとの交流会があり、そこで尺八の演奏をする機会を得ました。曲は「八千代獅子」。尺八のみの独奏で、自分自身が曲そのものをよくわからないままとにかく夢中で演奏したのですが、オーストラリア人の同世代の生徒から歓声と熱烈な拍手をもらったときには、本当にうれしかったです。「ああ、この日本の音楽って、『いい』って思ってもらえるんだ」と初めて気付いたんですね。この体験が、日本文化、尺八、とりわけ純和風で伝統的な要素に強い興味を持つようになった原動力になっていると思います。




高校生になると、ギターやロックにはまり、一時期尺八とは疎遠になったりもしました。そのとき、ブリティッシュ・ロックから、いわゆる「プログレッシブ・ロック」へと興味が進行し、クラシックや東洋音楽などの要素を取り入れた、変拍子や特殊なコード、長い演奏時間といった特徴を持つ楽曲もよく聴きました。「イエス」とか「キングクリムゾン」とかですね。今でも好きで、時々聴いたりします(その辺りの経験も、地歌箏曲の20〜30分という曲の長さを苦痛に感じない一因になっているのかなと、今更ながらに感じています)。LPレコードに凝って、中古レコード屋に入り浸ったりもしました。ただ、ギターの方はモノにならず、久しぶりにたまたま手にした尺八の方が思い通りに演奏できることに気づいたこともあって、再び尺八を練習するようになりました。


その頃出始めた「古典ライブラリー」というカセットテープを買って、それに合わせて演奏したりもしました。高校時代にバンドを組んだりとかがうまくいかなかった反動(?)が、三曲合奏の方へ向かったような面があったように思います。「合奏するって、楽しいな」と気付きました。中学時代に芽生えた「日本文化」への関心が発展して、夏目漱石に傾倒し、和服を着始めたりもしました。




漱石への憧れも手伝って、熊本大学に進学し、大学時代の4年間は、アルバイトの時間を除いて全て和服で通しました。邦楽部に入部し、部室で出会った邦楽ジャーナルの通販で、山口五郎先生のCDを買いました。衝撃でしたね。こんな素晴らしい尺八の音色や演奏があるのか!と。学生邦楽のイベント「学フェス」で、全国の学生の琴古流尺吹きとも出会い、決心して琴古流に転じました。


 琴古流の中でも、憧れの山口五郎先生の「竹盟社」の芸をお習いすることができるようになったのは、大学2年生の冬、「学フェス」の姉妹イベントの「尺八講習会」に参加し、そこで師匠の吉村蒿盟先生とお会いしたことがきっかけでした。それから大学を卒業して関西へ移住するまでの2年半、毎月夜行バスで熊本から関西までお稽古に通いました。アルバイト代は、交通費や青譜、その他もろもろの尺八関連にほとんど全て変化しました。自分の心から愛する音楽を習えるということに、心が踊るほどの幸せを感じました。


大学卒業後は「プロ演奏家」を目指して関西で本格修行を始めましたが、結果としては教員採用試験を受け、教職という「本業」を持った上で尺八の活動を行っていく方向に落ち着きました。いろいろ悩みましたが、本業で生活の面の安心感を持った上で、自分の本当に大好きな尺八本曲や地歌箏曲を中心に据えて演奏活動を行っていくというのは、僕の性格に合っている一つの道なのかなと思っています。関西で活動を続けていくつもりでいたのですが、祖父母を亡くしたときの自分の両親の様子を見て、親元の近くに戻りたいという心境が生まれ、10年間の修行期間を経て師範を許されたのち、地元福岡県に戻りました。

【籟盟の尺八稽古帳(山口籟盟のブログ)より、「最後のお稽古」】



出身県が福岡であるとはいえ、関西で修行を積んで戻ってきた私にとっては、芸の上では「アウェイ」な地。知名度も人脈もほぼゼロに等しく、帰郷してからの5年間という期間は、自分でも挫けそうになるほどに無力感を感じる日々でした。 帰郷時に自分の中にあった青写真は、それこそ師匠をモデルとした、週に数回程度お稽古をし、お糸の先生方との関係を築き、自分の社中を基軸にした温習会や演奏会を活発に行っていく、という伝統的なものでした。修行地・関西では、師匠はもとより、たくさんの御社中でそのような光景を目の当たりにしていましたし、「きちんと本物の芸を追求していれば」そうした道が開けていくのは自明のことであると信じていました。 


しかし、この5年間をかけて、入門者減・高齢化の急激な流れは、現在進行形、いや加速度的に進行しており、もはや歯止めの効かない段階に来ていること、そしてかつての自分をはじめ、主に都市部での体制が安泰である御社中にあっては気づくことができない、もはや「手遅れ」といっても過言ではないような状態に事態が進行していることに、否応なく気付かされたのです。それは、地方に下り、芸の上で師匠の後ろ盾のない単独の状態であれこれ試していくうちに痛感したわけですが、今ではそうした現実に気付くことができた自分の今の立ち位置に、心から感謝をしています。


 そこで試みたのが「web演奏会」という、自分の演奏動画をYouTube、Facebookで公開する取り組みです。その詳細や、そこからオンラインで三曲合奏を行う「ジョイントweb演奏会」、さらに「而今の会」へと発展していったことは、以前の記事でご紹介した通りです。
【「而今の会」への思い(山口籟盟)】



 「新しい曲」「よく耳にする曲」を演奏して、和楽器に興味を持ってもらおうとする活動は、たくさんの方が一生懸命取り組んでおられます。僕は、そうした活動も素晴らしいし、とても大切だと思います。しかし、僕が活動の主軸にしたいのは、伝統的な三曲合奏の素晴らしさを、「新しい方法」で、より音楽的・芸術的な魅力が発揮されたかたちで発信していくというスタイルなのです。そのために、今一番心血を注いでいる活動が、僕の場合この「而今の会」なわけです。本当に僕は、心からワクワクしています。大庫さん、東さんとご一緒に、三曲ができる8月18日を、心待ちにしています。これからも準備に邁進していきますので、どうぞみなさま、当日を楽しみにしていてください!!

2017年3月25日土曜日

原点回帰のきっかけはFacebook

而今の会の大庫こずえです。

 私は 十代で山田流箏曲に出会い 中能島欣一先生山口五郎先生 藤井久仁枝先生などなど今は亡き名人の演奏を 生で聴いた幸せな世代です。

 故あって山田流のいない地方に居を移してからというもの、月一でのお稽古に東京に通いながらも 相手が揃わなければ成り立たない山田流の演奏の機会はなく、やむなくソロでの演奏スタイルを確立してきました。

 昨年 Facebookで山口籟盟さんと文字でお話しを交わしはじめ 現代の若者ならではの発想のweb演奏会なるものに参加させて頂いた事がきっかけとなり この夏には静岡の東啓次郎さんと共に現実に三曲合奏が実現するという急展開には 何事も続ける事の大事さ醍醐味を感じた次第です。 どうぞよろしくお願い致します。


 私の住む長野県は 箏曲の正派発祥の地、地域のその方達とボランティア演奏などもしています。


2017年3月19日日曜日

8月は甦る伊那県庁 飯島陣屋にタイムスリップ

初めまして。
而今の会メンバー 基本山田流の大庫こずえが 現地視察をしてまいりましたので 会場をご紹介いたします。
以後 どうぞお見知り置きを❗❗

1868年から1871年まで伊那県の本庁として政務を司った飯島陣屋。
8月18日(金)而今の会初の演奏会場となる この現長野県飯島陣屋を下見し 打ち合わせをしてまいりました。
奉行所のお座敷に 燭台のロウソクと行燈の灯を灯し、江戸時代の様式を彷彿とさせる空間で古典の三曲合奏をお聴き頂くという またと無い企画となります。
而今の会演奏会をどうぞお楽しみに。